カナダ掲示板 (フリー) - No.248805
日本 おめでとう
(バンクーバー) 2018-06-21 02:01:05
日本 おめでとう
若者よ、あなたも勝者を目指そう。
この小説の主人公の様に、人生の勝者を目指そう!
そうです、あなたも 「感動」と「情熱」で! ※ 嬉しさと感動で歩むCanada
「 Film Love is Over 」 「 カナダ便り 」
「 一人旅 」
「 さ~出発だ~ 」 彼女の一大決心とは何だったのか!
世界に通用する日本女性像とは (時代を読むヒントに)
「 カナダは安全な国, そして, 自由な発想で自ら歩める国 」
★ 著者はこの小説に何かと 新しい変化を見出だしたい、今は、その思いが強い!
★ この小説を読んで、明日の 「 私 」 を発見しよう
★ 自由な発想で 「価値観の違いを越え、知恵で行動に移す、カナダとは何と素晴らしい国に 」
「 これからの日本人に、そして世界に通用する本物の貴女の発見の為に (時代を読むヒント)
★ 「 傷心の一人旅 」から、僅かな時を経て、北米の大地に羽ばたく自身を夢見た、彼女の日記にそう刻んだ。
( 好きになったカナダで、暖かい人達に囲まれ、美しい北部の森を舞台に、次第に彼女に馴染ん出くる子供達とキャンプで集う)
( これからの日本を背負って起つ、日本の青少年にも、読んで欲しい小説なのです) June /20/2018;
「 Film Love is Over 」
「 カナダ便り 」
#1 「 一人旅 」 「 マニトバ州 を発ちオンタリオー州へ 」
#2 「 首都オタワ 」
#3 「 自由な発想で歩める世界 」
#4 「 市のレクセンター 」
#5 「 最も熱い日 」 St。Lawrence 河
#6 「 激動覚悟の人生と」
#7 「 面接 」
#8 「 掴めそうな人生」
#9 「 サマーキャンプ 」 ( 美しい北部の森で )
#10 「 三四郎 」
「 Film Love is Over 」
#1 「 一人旅 」
「 マニトバ州(Manitoba )を発ちオンタリオー州へ 」
彼女はマニトバ州(Manitoba )を立ちオンタリオー州 (Ontario)に入ったのは、その日の午後近く。
既に1日で約1,500キロ走って来た事になる。
その後Canada の首都、オタワ(Ottawa)に入ったのは、次の日の夕方だった。 注;(前後省略)
そろそろ長旅の疲れも多少出て来た頃と、本人も気になっていた。
その日はオタワ郊外に出て、モーテルに宿泊する。
近くにはそれ程大きくはないが、緩やかな河が流れを見せていた。
そこから近くに、かなり高さの滝が見えていた。
こんな長旅を一人で車を走らたのは後にも先にも無い。
今回は特別無理を承知の旅になったと思い返していた。
ただ、この無謀とさえ思える、この計画に耐えてきたのは、彼女には1つの熱い思いがあった。
自身で理解できる範囲で冷静に、「この苦難の旅に打勝ちたい」その単純な想いがあった。
その事は今の私には少しの努力で十分でだった!
今では自身に自信さえ沸ていた。
※(北米に行けば友達も、英語で話せる友達を選ぶと)
知恵(往復1万5千キロ)
1日の走行距離にしても、自身でも想像を遥かに超えた距離だった。
人は普通1日に200~300Km走れば目も精神も疲れ、イライラして来る。
今ではその解決策もあると、本人も理解出来ていた。
目の疲れにしても車内の乾燥と雑音だけでイライラが発生し、精神的にも疲れ果て限界を感る。
それらの問題をコントロールするには、車内の温度や湿度を、日頃の室内温度に近付ければ快適に走れる。
注; (バスタオルをバケツに沈たす。目安として、その水分が一日で蒸発する)
それに途中適度に止まり休憩し、気分転換を図る。
彼女は、それらの点に工夫を凝らした。
運転座の前のボンネットの上部にも、プラステイクの花瓶をテープで固定した。
1日走る高速道路に沿う道々の野生の草花をそれに活け、耳には心静かな音楽を流す。
時には唄の練習時間とし、変化に工夫した。
また、モーテルに辿り着けば、思い切り宿舎の窓を大きく開け、新鮮な空気に入れ変える。
それでなくも一年中閉めきった室内温を入れ替え温度を下げる。
序にシャワーの後、バスタブに少し水をはり、室内の湿度を日頃の生活と同じに保つ。
寝る時も室内の証明は全く暗くせず、少し明るく保てばより熟睡が期待できる。
後は興奮しがちな飲み物、午後のコーヒー、コークなどを控え熟睡に備える。
これらの気配りで、長旅もそれ程苦難な旅ではなく、寧ろ旅を楽しく出来る。
又、資金面もそれ程負担に感じない方法もあるだろう。
まず、このカナダ横断の費用を考えても、この長旅の片道6~7000キローの高速代費用は、何処かの国と大きく異なる。
驚くなかれ、ここカナダでは全線無料である。
毎回の食費につけても、どの道、家に居ても食事代は同じである。
唯一宿泊代は気になるが、ここカナダは一年中キャンプ地は手頃な金額で利用できる。
複数の人数ならば、時々車中の宿泊も可能だろう、その間シャワーならばモテルに止まれば利用できる。
#2 「 首都オタワ 」
次の朝一人街に出た。彼女の知識では、ここオタワの街は矢張りカナダの首都であり、カナダの中央に応しく、多くの歴史、史跡が見られる。
まず、政府関係に集中して訪ね、これからカナダ滞在中に必要最低の情報を得ることに決めた!
以前日本を出る前に調べておいた所を2~3当って見たい、今はその気持ちに落ち付いた。
まず政府の案内所を目安に街を歩いてみた。
近くに観光案内所と思えるサインが目に付いた。
古めかしく見える大きなビルに入ると、比較的初老で、ベテランと思える担当の人が出て来た。
彼女は、最近日本からカナダに観光目的で来たと告げた。
出来れば将来ワーホリの仕事を探してみたいと話した。
何とか彼女の思いをゆっくりその担当者に伝えた。
それには、ここカナダで働く為に必要な許可書が必要である。
貴女はそれに必要なビザをお持ちですかと担当者は言う。
「ハイ、あります」と彼女が答え、それを取り出し担当に見せた。
ここは職業に関する情報に答える部省ではありませんが、そこに行き担当の職員に会えますと彼は答えた。
担当菅;そうですか!日本から来られた方ですか!
私も、日本はとても美しい国なので、一度は行って見たいと常々思っていました。
貴女はどの様な仕事をお捜しでですか!
「。。。 」 少し間を置いて、何かスポーツ関係の仕事を捜せればと希望しております。
「。。 」 貴女はどの様なスポーツをされていましたか!とその担当菅は彼女に気さくに聞いてきた。
学生時代を通じ、少しソフトボールの経験がありますと答えた!
その担当の初老は、続けて彼女に訪ねた。
貴女は、そのスポーツは好きでしたか!
はい、と答えると、彼は、確か私が聞いた所では、日本は野球が実に盛んで、貴女の様な女性のソフトボールも盛んだし、特に日本は強いと聞いています。
近年も、日本からテイームがここカナダに遠征に来て、ここカナダのテイームと競っていました。
たまたま私もT.Vでその試合を見ました。
貴女はここカナダで働きたい希望ならば、一度考えてはどうですか!
私が個人的に知人を貴女に紹介してあげてもいいですよ!
東部の旅から、再びこちらに立ち寄られた折り、彼に連絡を取って見てはいかがですか!
良いポジションが見つかると良いと思いますが!
彼女は連絡先のメモを渡された。
私からも、彼に貴女を紹介をして起きましょう。
彼も実に親日家の一人です。 連絡先を貰う。
その日の午後早く、彼女は浮き立つ気持ちでモーテルに辿りついた。
その思いは彼女にとり信じられない、出来事だった。
何とカナダの国は、新しい人に何と優しいのか!
まるで夢でも見ているかの思いの一日だった。
メモ; (時には先に来た人は、後から来る人にも譲る精神が見られる)
#3 「 自由な発想で歩める世界 」
その日の午後、彼女は観光局の事務所で貰った男性に電話をする。
キャーシーと言う女の子が電話に出た。
少しお待ち下さい。
暫くして彼女の父と思える人が電話口に出た。
受話器から「 ハイー、アカネさん、キース、ラッセルです、ハジメーまして 」と突然の日本語だった。
私はアカネ、ウエダと申します。彼「 ハイ観光局のジムから貴女の事を聞いております。
カナダは初めてですか!
「ハイー」
ジムから貴女はスポーツの経験がお有りと聞いています。
ここカナダでも、女子のスポーツにソフトボールの野球が最近知られて着ました。
日本は既に女性のソフトボールが盛んで、しかも強いと聞いています。
貴女はどの位いの期間カナダに滞在の予定ですか!
今回は約1年位の予定です。
貴女の英語はお上手ですね!
イーエ、まだまだ初法で解らない事ばかりです。
お上手ですよ! 私も日本から体操のテイームや、交換コーチもよくここに来られます。
私は日本の方は大好きです。
それでは、一度こちらの市にあるレクレーション、センターに来られ、センターのデレクターに合ってくれませんか!
紹介します。
ハィー、大変嬉しいお話です。ありがとうございます。
それではレクセンターのMrs.クロッカス氏に連絡を入れてみましょう。
私も以前このセンターに席をおいていました。
彼女「私は近じか、あと数日間東部に向け行く予定です。
そうですか!それでは一つ案があります。
貴女の都合もある事でしょう!
出発前に貴女がデレクターと一度お逢いする事が可能ならば、と思いますが、いかがでしょうか!
はい~是非そうしていただければ大変嬉しいです。
これからは夏の季節だし、ここカナダでは多くのカナダの子供達も、何かとスポーツキャンプ等に参加します。
※彼女の語学力 「英語力」大学時代を通じて、英会話ボークスでカナダ人講師から学ぶ。(他にグループで親交もあり)
重要; 貴女の得意とする点を(専門スポーツ)可能な限り、話題に引き出す。
#4 「 市のレクセンター 」
その日の午後、彼女はこの市にあるレクレーション、センターに一人で出向いた。
そしてセンターを訪ね、デレクターに合う事が出来た。
敷地も広大で、本格的センターである事が一目で理解出来た。
玄関口に見える、書籍類の閲覧も充実していると感じた。
あれだとコースもバラエテェーに富んでいると予想出来た。
受付でアカネ、ウエダと告げると、彼女のオフィスに通された。
最初から、貴女はソフト、ボールは好きですか、そして何年ほど経験はと、基本的な質問の後、貴女はカナダで何の目的で来たのですかと訊ねられた!
次に、ここで何かスポーツをしてみたい希望はありますかと聞かれた。
ハイー希望としては、将来子供達に関連した何かの仕事に付きたい希望があります。
彼女は予想以上に素直に答えられた。
今度は、デレクターから質問が続いた。
それでは貴女はこのセンターで、どの様な仕事を希望されますか!
彼女、勿論、可能ならば子供さん、又一般のレベルでの指導するポジションです。
私のこれまでの経験から、大好きなソフトボールが希望です。
彼女自身、どこかが熱くなって来くるかに感じ始めていた。
戸惑い気味にも、彼女は直に答えられた。
貴女はこれまで高度な技術の経験が有りますよね~!
今後、ここ北米カナダも、隣の国スポーツ先進国アメリカとの対抗を目指しています。
そこで貴女のレベルは非常に高いレベルと思うので、考えて見て欲しい。
直ぐにではなく、貴女の東部への旅行計画を終えた後、ここにもう一度帰りここを訊ねて来てください。
これからの季節は何かとスポーツに最高の季節です。
その折りこのセンターのサマーキャンも始まります、女子にはソフトボールのクラスも予定して居ます。
又、あなたに湖でウオータースキー、コース、ビーチでバレーボール、セーリング等のコースと多彩な選択があります。
貴女ならば最適だと思います。
その後、この州には女子のソフトボールのクラスも盛んで、この州だけでも幾百の男女テイームがあります。
勿論レベルの高いトレーニング養成コーチも捜している所です。
お気に入りましたか!貴女は好きになれそうですか。
それでは旅行から帰られた時、又、お合いしましょう。
#5 「 最も熱い日 」 St。Lawrence 河
その日は彼女に取り、この旅行中「 最も熱い日 」となった。
その忘れえぬ「 熱い日 」とは、St。Lawrence河沿いの、灼熱の太陽が熱いのではなかった。
昨日のセンターでのディレクター、Mrs.クロッカスとの熱い「 面接の日 」だった。
昨夜は寝付けぬ長い夜になった。
さァ~東部に向け再び旅に発とう、未だ終わらぬ東部に向け!
そしてこの街に早く帰ってきたい、その日が今から待ち通をしい!
その為にも、無事故で帰りたい、それらの思いが渦巻く混迷に彼女は暫し酔いしれていた!
その後数日で早く返って来たい。
Montreal,の街を離れ「St。Lawrence Liverに沿い、Quebec.州、New Brunswick,Moncton, に入る。いよいよ待望のCarlottetown.に辿り付いた。
そしてNova Scotia のHalifax、Peggys Cove巡り、漸くここに辿り着いた。 注;(中ほど省略)
帰路に付く数日後、Ottawaに帰る予定のその日が待通しい!
何とMontrealを出て、千キロ近く続く、St。Lawrence Liverに沿い、のんびりと高速道路をゆっくり車を進めていた。
数日前のあの時の面接の事を思い返していた。
ふと気が付くと、彼女はQuebecの街を通り過ごしていた。
どこかで引き返さなければと思うや、丁度確かに引き返すのにピタリの横道が視野に入って来た。
だが、同時に左折禁止のサインが目に止まる。
ふと、この広い大陸で一瞬の禁止サインも利用してみる事に決意。
スピードを落とし安全を確かめ、ハンドルを横道に切った。
そのまま今来た道を進んで居ると思った矢先、ふと後部に点滅する光が彼女の目に入った。
予期せぬショクが彼女の全神経を過ぎった。
何故に一瞬の出来事が見つかったか!勿論折り返し禁止のサインは有った。
今日は、いかにも優しそうなハイウエー、パトロールのお巡りさんにテイケット戴いた。
昨日に比べ今日は何と運が悪い日なのか!
後悔は先に絶たずと世に言う例えを思い出し、彼女はキッパリと諦める事にした。
そこで心気一転、そのまずさを吹き飛ばしたいその思いで、ハンドルをフランス領ケベックの街に切った。
今度はミスは無いだろうと確かめていた。
早々に気まずい思いから、今は気に入りそうなコーヒー店を見つけ中に入った。
矢張りそこからは素敵な音楽が流れて来た。
先程と同じ日なのに、私には周りの雰囲気が違う、驚くばかりであった!
ウエイトレスの装いも何故か一際鮮やかに感じた!
瞬時に、先ほどのチケットの悪運を忘れたいその思いなのか!
その日は途中から一気にNew Brunswick 州 から Monctonを目指し南下した。
そして期待していた、Prince Edward Island への カナダで一番長いコンフェデレーション橋を渡った。
翌朝は既にOttawa を発つ前に、この町に連絡を取り、好みの民宿を決めていた。
朝食の後、心気一転、彼女はこの静かな街の散策ときめ、一人で外に出た。
時間が過ぎるにつれ、道行く人々も次第に目に付いてきた。
気が付くと若い人達の中に,正しく遠くアジアーの日本から来ていると思われる数名のグループとすれ違った。
時には彼女から彼らに声をかけた。
矢張り彼女達も遥々憧れのこの地を、女友達と観光をしている事が確認できた。
今やこの地球の裏側にも小説などから憧れ遠く日本から若い人々が、ここに来ている事を知ることが出来た。
その日の午後、ガイドブックで見つけたこの民宿のお婆さんの好意で、シヤーロットタウン( Shalottetown )の郊外に連れ出し自ら案内てくれた。
この町は今も、又、古くからイギリス系の人でし占められていて、収入の多くは、観光と農業が主体だと話し、特にポテートの収穫が主な収入源だと彼女に話した。
そして私の息子達も農業をしていると話した。
この小さな町は小説、赤毛のアンで世界に知られた観光コースも小さいのが数箇所あった。
でも、彼女には写真撮影はそれ程撮る気にならなかったが、郊外に出ると何所に移動しても、どのアングルからも風景画を見る様で、写真家でなくも楽しいと思った。
だから、車で動いていると、数百メートル置きに止まり、幾ら写真に収めても、切りがなく、ここは飽きない素晴らしいコースだと心に残った。
帰りはこの島の反対側からフエリーで本土に渡った。
その車の列の中に、珍しくカナダ太平洋側、BC州バンクーバーからの家族から声をかけられた。
車のバンバーからBC州と築いたらしい。
暫く、片道6千~7千キロの長旅の話に、彼ら家族と楽しい一時を過ごした。
その奥さんが、あら~貴女は遠くアジアーの日本から来られたのですかと、親しげに話しかけられた、彼女も感激でしばし熱い気持になった。
今や世界は小さくなりましたね!と彼女は今更の様に感慨深く彼女に話しかけていた。
夕方には、Nova Scotia州を南に下り、これと言う当てもなく海岸線を辿りながら、遂に憧れの一つだったAtlantic Ocean(大西洋)を初めて目にした。
初めて目にする大西洋の湾に沿い、夢の中の様な海を眺めながら車を一人進めていた。
この時のドライブは彼女に取り最も印象深く、忘れがたい一日だった。
何故ならば、何時の日かこの地を振り返り、一枚のこの絵の様な強力な印象が、彼女の心に末長く記憶に残るに違いないとそう思った。
次には大きな灯台が目の前に入って来た。
そこは歴史的にも有名な巨大な山の様な岩盤が連なり、この州の歴史的サイトと直ぐに解った。
ここはPggysCoveの名で知られていた。
ここは明暗の歴史を今に残し、それらを今に語り継ぐ観光地で、中でも戦争時には大小の事件、近年には国際線の航空機事故で世界を震撼させた所でもあった。
それらの歴史を忘れさすかに、折り曲がる湾にそそり立つ、小さな家々、その家のカラフルな色、そのコーブに浮かぶ色鮮豊かなボート等が映え、まるで夢の様で飽きない光景が続いた。
彼女は何時の日かこの地に時間が許す限り、再度訪れて見たいと心に閉じておきたいと感じていた。
#6 「 激動覚悟の人生と」
ここ北米では余り伝統に固執しない様だ。 数百年と同じ方針は持続しない、その理由は、時の流れと共に人も、社会も常に変わり行く。
ここカナダは移民の歴史の変化と共に、カナダの初期はイギリス系、フランス系、その後ドイツ、イタリア系、また、インド系と、つい最近では中国系と変化を遂げる。
さて、今世紀のアジアー系、最近はアジアーから有能な日本人が移民として来る時代と変化して来ている様だ!
だが、同じ移民でも、この若い国を指導出来る人はまだまだ極稀であると思う!
日本はスポーツに関しても早くから高く、体操日本の名は1964年のオリンピーク以来、有名人が続出、だから日本からの指導者は多くの国に歓迎され続けている。
それ故か、スポーツへの期待はカナダの若者に最優先が見られる。
ならば有能なセンターの指導者は、指導する言葉の問題さえ重要視しない、レベルの高さを優先し採用する。
特にカナダの低レベルの年令の幼年期への指導者は特待で優先されている。
さて、東部への一人旅もNova Scotia州、Halifaxで、Peggys Coveを最後に、彼女にとり暫しの名残り惜しい一人旅であった。
今、彼女は何時の日か再びこの地に着て見たいその思いが強かった。
しかし今は終止符を打ち、帰路の途に付くと決意した。
この地はそれ程までに彼女にとり、深く郷愁に沈った思い出の地だった。
ペギコープを発ち数日で、彼女は再びオンタリオー州、オタワに辿りついた。
だが、彼女には今回の長旅の疲れもそこそこに、大事なレクセンターでの面接が待ち受けていた。
しかも、これこそ今の彼女にとり本番なのだった。
それに加え、これまでの日本での経験とは比較にならない事も、帰路心痛の一っであった。
もしかしたら、彼女に執りこれからの人生との別れの岸に立つ、その思いだったかも知れない。
それ程までに、今は彼女にとり人生の大きな分かれ目の時だと心に決めていた!
その事は 「 激動覚悟の人生を」と、彼女が自覚した、その日から始まっていた!
翌朝彼女はレクセンターに電話を入れた。
デレクターの、MRsクローカスの秘書に、彼女は東部の旅から帰って来たと告げた。
暫くして、センターから連絡があり、デレクターは今日は予定がある。
明日の午後2時ならば逢えると返事があった。
又、デレクターから貴女が帰るのを楽しみにしていたと、この期待以上の喜びの声を聞く事が出来た。
その事は彼女のこれまでの緊張が一気に緩み、その日の午後には、東部からの疲れさえも綺麗さっぱり忘れたかの午後になった。
いよいよ面接の日は明日に迫っていた。
ラッセル氏(キース、ラッセル)からも心配の電話があった。
彼女の東部への旅が無事だったかの家族からの伝言でもあった。
何と親切で暖かい家族かと彼女は心からそう思った。
そして明日は早々にレクセンターで、デレクターに会えることが可能だと告げ、ラッセル氏にも大変感謝していると告げた。
デレクターの、MRs、クローカスは、勿論ベテランだし、実に人柄の良い人なので、朝日は安心して行く様にも教えてくれた。
#7 「 面接 」
彼女にとり、これ程に緊張した時はなかった。
無事帰って来ましたね。 事故には合いませんでしたか!
「ハイ~」 ただ、道中ふと気が着いた時、ケベックの街を直道りしてしまいました。
直ぐに、折り返しをと思い試みましたが、その道が見つからず、そうです横道を見つけショートカットをしてしまいました。
その為オマワリさんにチケットを貰いました。
そうですか、嫌な思いをされましたね!旅行者には良くある事です。でも外国の旅行者には、時には目を瞑ってくれる人も有るそうです!
貴女は、旅の疲れは少しとれましたか!エーエーすっかりとれました。
ところで、貴女は当分ここカナダで働いてみる意欲はありますか!
ハイーあります。
それは良かった。
カナダでは、今、貴女の様な人を歓迎しています。
特にスポーツに長けた人にはポジションはあります。
特に貴女の様に、レベルの高い人は歓迎して居ます。
彼女「本当に嬉しく思っています」
これから子供さんの為の恒例のサマーキャンプが約1ヶ月半続き、その後、このセンター全ての各種目が始まります。
そして春の後、夏、秋、冬と1年を通して各コースは継続しています。
それらの種目の全体像をごく簡単に説明しますと、水泳、ハイキング等を始め、料理教室、音楽、絵画、写真、ダンス、生け花と、多彩な種目があります。
これらをこのセンターは市民に安い料金で提供しています。
それに、シニアーの為のグループ活動、芝上のボーリング、チェス、ハイキングコース、又、ハンディーのある人々にも、特別なケアーケースも用意しています。
車椅子で水着のままプールに入れる設備を利用できます。
ですから市民の50%以上の家族の誰かが、ここのセンターを利用しております。
ですから貴女にもお給料が支給されます。
また、センターの施設として、大衆用に大きなプール、ジャクジ、ステイームバス、サウナ、など多彩なコースがあります。
センターを利用し、市民はそれぞれのハイキング、旅行のコースも選べます。
又、四季を通じてこのセンターには、モダンな器具を備えたGYMもあり、健康を意識した多くの人々がこのセンターを利用しいます。
又、センターには専属の相談の為の医師も利用可能です。
これらの他にも、多彩な冬季のプランもあります。
このサマーキャンプが間もなく始まります。始まれば貴女も忙しくなると思いますよ!
少し休憩しましょう、午後はそれらの種目を貴女に合わせ細かく説明しましょう。
それに貴女にもリーダーとして活躍して貰う為に、他のリーダの方達も紹介しましょう。
忙しくなる前に、何かする事があれば、今が良いでしょう!
ハイ、今回のこの下見旅行の出発の折り、少し衣類等を預けてきています。
一度バンクーバーに引き返し、それらをこちらに送ってきたいと思って居ます。
それと少し他にも揃えて置く物が有ると思いますので、リストを作り買い物にも行きたく思っています。
そうそう、 午前中に貴女にお話した他に、貴女にして貰いたい事が他にも2~3あります。
その一っは、男女のウオータースキーの課目も貴女に担当して欲しいと思っています。
男女の学生達の監視と、スキーを履かす手伝いです。
それにセーリングが始まれば船上の、子供達の監視と子供達の注意をお願いします。。
彼らはボートがすれ違う折り、お互いにバケツの水を掛け合い、時にはエスカレートするでしょう。
ですが注意すれば直ぐ収まります。
また、砂浜でビーチ、バレーの時も貴女に担当をお願いしたいと思います。
貴女の他にも男、女5~6名のインストラクターが居ますので、安心して下さい。
彼らに聞けば気楽に教えてくれます。
彼女「 私も以前ライフガードのコースは受けております 」
それは長方ですね!
#8 「 掴めそうな人生」
次の日の早朝、彼女は静かにオタワの郊外を発つた。
目指すは国道1号線を西に向け、ただ一筋にバンクーバに帰る。
そして荷造りをし、ここオタワに向け送り出す。
その時が待通しい! 彼女の浮き立つ心は俄かに騒がしくなって来た。
自身でもこれ程興奮した時は最近余り記憶にない。
左右に流れる大草原も、後方に走りさる小さな家々も、今の彼女には、まるで音のない真空の世界に感じていた。
この分で行けばほんの数日で、B.C州に辿り着く。
その思いは日本に残している両親や、兄弟の事、そして日本の親友の事だった。
序でに何か美味しい日本料理でも太平洋側バンクーバで食べてみたい、それらの思いは止め処もなく続いていた。
荷造りも終え送り出すと、再び自分自身の世界が始じまっていた。
今回は、一中夜走り続ける長距離バスの中、それでもヴァンクーバーに着くまで、心に書き留めていた両親や親友回想を手紙の内容を再確認していた。
そうだ、あの親切なプロフェーサーが忠告してくれた、今回の彼女の滞在先も心配しなくて良いと言われていた。
そこは、オタワの郊外にあり、静かで交通便も良い。
そこには東イタリー系のお爺さんと、奥さんはドイツ系のご老夫婦が二人で住んでいる。
その家は小高い丘の上に位置し、良い事にその丘の上から周辺の農村が見渡せる。
また、近くにはメィープルの森と、牧場もそこから見渡せるそうだ。
思え返せば、ここ数週間は彼女にとり、実にあわただしい日々の連続だった。
しかし、ここカナダは多くの人々は優しく、彼女を受け入れてくれた。
今では明るい人達だと確信できる程だった。
そうだ、自身がこれまで生まれ育つた故郷日本と、それ程変わりはないと、その安堵の自分自身に気付いた。
そうだったのか!
多くの場合、本人自身で理解し、前進しようと思えば、ここカナダでは何も不可能な事は無いとさえ思えて来た。
ここカナダでは、何事も自身で考え、前向きに行動に移すせば、解決出来ない事はない。
現在の彼女の心境はそう思えて来た。
オタワに着けば、既に多くの人達とも交わえ、何よりも大好きなスポーツの世界で、カナダの多くの子供達と友達になれる。
その日が今から待ち遠しいとさえ考え始めている自分に気付いた。
ここカナダは歴史も新しく、多民族でその数170以上の国家なのである。
常識も1つではない、歴史も国民一人一人が築く事もできる。
だから、今は少し何かの経験でも積めば、幾らでも可能性が開ける来る社会なのだ!
今は少しの前進も可能だと漸く確信できた。
「 掴めそうな人生 」が見えて来た。 ふと、彼女はそう思えて来た!
#9 「 サマーキャンプ 」 ( 美しい北部の森で )
いよいよセンター主催のサマーキャンプが美しい北部の森で始った。
子供達もそれぞれが集合時間にセンターに集まって来た。
ここから市のスクールバスで古い、Kanata のキャンプ地に向かう。
彼女の担当は初めてリンダーと言う若い女性と組み、朝からウオータ、スキーの担当であった。
午後からはビーチバレーなどが予定されている。
今週の水曜日は運動系アクションは中休みなので、午前中は、大型のボートで子供達とセーリングの監視が彼女の担当だった。
その日の午後は、ここカナダで珍しいスペシャル番組、柔道のデモンストストレーションが組まれていた。
子供達にとり初めて見る柔道のデモの時間である。
これにはジムと言うカナダの青年が、大学のキャンパスから、日本の青年だと知り合った彼を指導者として引張り出して来た。
彼ジムは以前このセンターに暫く席を置いていた。
彼は日本男子と聞いただけで、彼に決めていた。そこでセンターのデレクを説伏せ、彼を推薦したそうである。
ジムと青年サンシロー(三四郎)はキャンパスでじ同キャンプらしく、日本は九州出身だそうである。
彼女の知識では、鹿児島地方の若者は、多くの若者は剣道、柔道と何かと武道に長けていると聞いていた。
これらの他にもアーチェリー、バイクライド、バスケット等のコースの他にもコースがあった。
彼女は女子にスキーの装備を担当し、それぞれの生徒にスキーを履かせる。
キャーシはボートの綱をそれぞれの子供達にバランスを考え、転ばない様に手をかす担当だった。
二日目は他の指導者の勧めで、彼女もスキー具を身に付け、数回試みたが、自ら身体が浮かび揚がらない内に沈みその日は早めに中止した。
初めはバランスを崩し残念ながら立ち上がり、水の上を滑るまでは行かなかった。
子供達の方がごく自然にす滑つていた。
午後からはビーチバレーボールが始まった。
これらは彼女には得意なので難くなく子供達と交え、楽しい時間になった。
2日目のスキーは少し成れた性もあり、昨日より楽に水に乗れ立てた。
それでもスピードに乗りスキーには未だ時間が必要と思った。
でも彼女自身は疲れも何ら気にならず楽しく過ている様だった。
3日目の朝が来た。
バスを降りると、男女とも何時もより一際騒がしくなっていた。
それもそのはず、この日はボートでセイリングの初日だった!
既にそれぞれが騒いでいた。
初めは誰もがマストの周りや前後のデッキーでお喋りに熱中していたが、今回は対交のボートと摺れ違う時、向うから突然多量のバケツの水が飛んできた。
全員水着とは言え、ある者は早くもはずぶ濡れの状態になっていた。
その後が悪い、意気ついた子供達は、既に交戦状態の勢い。
最後には彼女も手に負えない状態に追い込まれた。
ここでは子供達も彼女の注意も聞きそうになかった。
彼女もカナダの男女は予想以上に難しい者だと、他のインストラクタに相談していた。
午後は柔道教室であった。
いつの間にかジムと、サンシローの二人は着ていた。
向うからそれらしき二人がこちらに来るのが見えた。
ジムと言う青年が向うからこちらに声をかけて来た。
そして彼女に握手を求めてきた。
その後、隣の彼を彼女に紹介した。彼は日本からこちらに来ていて、今は私と同じキャンパスに居ます。
サム(サンシロー)は彼れのニック、ネームで、サンシローが本命であると話した。
勿論柔道をしているからその名を使っているそうだ、と!
「彼も慌てて、そうじゃありません。偶々日本で私をニック、ネームで皆がそうそう読んでいましたと取り消した。
始めまして、とサムが一言。
その後彼が続けて、デレクターから貴女はベテランだと聞きましたよ。
ところでこのセンターで貴女は長年教えているのですか!
いいえそうではありません。恥ずかしくてその質問には~!とその場は答えず彼女はお茶を濁すかに答えた。
それでは貴方は柔道暦は長いのですか!「即座に彼はトンでもないです」僕の柔道はただコピー程度ですと、謙遜と思う返答を返した。
それは2時から始まるらしいと、彼女は他のインストラクタから聞いていた。
河の対岸の森を隔てて河は大きく蛇行し、こちら側は広々とした砂浜が広がっていた。
その広い砂浜には、子供達や他のインストラクタが大きな輪を描き、砂上に座りそれぞれがお喋りをしていた。
暫くして、数名の子供達が立ち上がり、いよいよ軽いストレーチングや駆け足を始めた。
中には体格のいい子供も見えた。
その中でもテニスや、バスケットのインストラクターと解る体格の好いインストラクターも見えていた。
彼女は彼らの殆どが各学校からで市主催のこのキャンプに、ボランテアーで毎年来ると聞いて居た。
その他にもアーチェリー、やサイクリングの指導者も見えていた。
ふと見ると初老(市の職員)の人と今日はレクセンターのMrs.クロッカスの姿も見えていた。
#10 「 三四郎 」
いよいよ柔道のデモンストレーションの時間が一刻一刻と近付いていた。
既に先ほどから立つて居た、数名の若者達が輪の中に入って来た。
そこには、明らかに一人の女子も見えた。
先ほどから準備運動を始めていた勇ましい若者達である。
子供達の中から一声に歓声の声があがった。
次に一人の司会者による、取り組みの説明の後、何所からかジムとサム(三四郎)も現れた。
説明の後、再び子供達の大きな歓声がこの広い川原に響き渡った。
注; (今では柔道もここカナダではそれほど目新しくない。都市にはクラブも出来つつある様だ)
これらの女子を含む5名を相手に、サンシローがお相手をすると聞いた途端、子供達から再び大きな歓声が湧いた。
日本人からの彼女にとって、どの様な試合になるのか、彼女の内心も騒いでいたに違いない。
いずれにしても、ここは日本とは格闘技の環境が大きく違う。、それに対するはカナダの子供達の反応も大きく異なるであろう。
彼女も何か問題が起らなければ良いが!その事が気掛りだった。
殆どの子供達も柔道を始めて見る者も少なくないだろう!
もし誰かが怪我でもすれば、どちら側にも大きな問題に発転しないとも限らない。
特に子供達の両親である。
彼女自身も国際関連の、怪我に関する知識は全く持ちあわせていない。
既に5人の子供達は、サンシローの周りを取り囲み、それぞれが何かと彼に意欲を見せているかに見えた。
肝心の他の指導者も今は何の打つ手もなく、ただ周りの観戦ムードに甘んじていた。
いよいよデモンストレーション開始の時がきた。
やがて、子供達の中でも、小柄で身の軽そうな少年が、彼に近付き後方から組み付いた。
だが彼は少し重心を落とした程度で動じない。
暫くその姿勢で少年が押したり引いたりしている。
その後少年が力限りに後ろから突進し様と試みた、その瞬間三四郎の右足が上に伸び、その足を跨いだ姿勢で、少年がフアリーと空中に上がった。
彼はその一本足のままゆっくりその少年を背中から砂地に降ろした。
(サンシローが子供を落とさない様に降ろしたのである)
子供達もこの初めて見る鮮やかな技に、驚きやら興奮でただ騒いでいた。
次に女の子も既に彼の側から足を目当てに近寄り、片足を持ち上げようとしたが動かない。
次の瞬間サンシローの仕掛け技である腰投げで、彼女も砂の上にスローモーションで降ろされていた。
次のに体格の良い一人の少年が早くも彼の後方から飛び着いてた。
サンシローは瞬時に上半身を前に傾け、次の瞬間彼の腰と右足の回転で、少年はそのまま空中に跳ね上がった。
彼、サンシローはスローモーションでその少年を地面に降ろし、勝負は決まっていた。
四人目は正々同道と彼の全面から彼、サンシローに立ちはだかつていた。誰の目にも少し経験があるかに思えた。
これらの4組のデモンストレーションは、ほんの数分でサンシローは勝負を付けた。
これらサンシローの連続技に周囲の子供達は、益々興奮してきた様だ。
5人目は一番体格が良く、強そうな少年が、今度はサンシローの前面からじわりと彼に近付いて来た。
明らかにこの少年は、少し柔道の嗜みが有る様に誰の目にも見えた。
次にその青年がサンシローに両腕を出した瞬間、彼の身体は輪を描く様に空中にフワリト浮き上がり、次の瞬間砂地に落ちていた。
子供達や、他のインストラクターも、今では総立ちで興奮していた。
その騒ぎは暫く治まりそうになかった。子供達はそれぞれにざわめいていた。
暫くして治まりそうにない騒ぎに、その周りに数名のインストラクタが集まるのが見えた。今は、何か打ち合わせを始めていた。
その中に一際長身で目立つインストラクタの一人と、この催しの指導者の姿とそれに先ほどのジムが加わって見えた。
内容はこの騒ぎで高校の教師でバスケットボールのコーチが、彼は、私もこのデモに参加してみたいとの意見であった。
そして彼は、私も少し柔道の経験があると話した。
その意見に対照的に責任者であるキャサリンが反対を表明していた。
彼女はこれ以上の騒ぎは好まない、是非中止して欲しいとの意見だった。
その彼女に今度は、サムを推進してここに連れて来たジムが真こうから反対し、子供達が可哀相だし、ガッカリしていると意見を述べた。
次にはこの話を横から聞いていた子供達にも伝わり、益々治まりが着かなく見えていた。
更に、バスケのコーチが子供達に問いかけると、周りの子供が益々騒ぎ始めた。
終いには全責任者であるキャサリンが、リーダー達に一言。
それでもし、何かの事故が発生してもセンター側は責任は取れない。
これ以上は両者に責任が当然あると決断に至った!
バスケのコーチは自身で責任を取ると答えた。
責任者のキャサリンもその点をサンシローにも確認した。
彼、サンシローも了解し、くれぐれも問題はなき様注意して取り組みます、とだけ彼女に伝えた。
今は、周りのどよめきの中、両者は子供達の大きな輪の中に入って来た。
次には、辺りは急に驚くほど静まりかえっていた。
両者とも、今は子供達の大きな輪の砂州の中央に立っていた。
辺りは、静寂だった。
暫くして両者は静かに2~3歩近付いて止まり動かない!
次にバスケのコーチの方から前に一二歩踏み込んだ!
更に一歩サンシローの前に踏み込んだ!
次の瞬間サンシローの身体が目に止まらぬ速さで地面に落ちた。
その瞬間、まるで目の前に大木が逆さまに(2.5メートル)立っていた。
そして次の瞬間、その大木に見えたバスケのコーチが、遠くに吹き飛んでいた。
その不思議な光景に観衆は大きなざわめき変わり、子供達も大人達も総立ちになっていた。
これがサンシローの講道館仕込み『 巴投げ必殺技 』だった。
「まず、誰にもこの不思議な早技は解けないかと!」 ※ 約100キロ余の大男が、一瞬に空中で逆に回転して。
写真参照; これまでの日本人の平均的腰は強靭だった。
「メモ 」; この柔道の物語は著者本人の実体験を元に描いている、5人の子供達、その後バスケのインストラクターとのデモ試合は、事実なのです。
問題 ; 相手は大型バスケのベテラン。柔道初心者ならば、受身の練習に少なくも3~5年、必;何よりも運動前のウォーミング、アップ。
サンシローにも、相手の経験の有無は未知数、又、人は空中で逆さの姿勢に成れば、まず(恐怖心にかわる)
まず試合では柔道着に帯が付き物、相手を投げるには、それなくば試合は不可能に近い。
サンシローの決断; 怪我皆無に終える、観客の子供達には、ある程度のショーを提供。(市の代表)レクセンターの知名度、
注;#1 彼の推定;身長は、約6フイート、6インチ、2メートル近し、体重100キロ以上。
注;#2 サンシローにとり、必要なポイントがあった。試合の場合、相手の何所かを掴み投げる、それが最低条件である。
サンシローが試合を★了解する時点で★、相手の腕を掴み(掴めるか否か)協力に引き寄せが重要。この場合真空投げ?
今朝、チラリとサンシローの残した一言が、今、彼女の脳裏を過ぎった。
この瞬間彼の巨体は地響きを上げ地面に落ちていた。
彼がボソリと彼女に言い残した「講道館で少し」は事実以上だったと!
彼女の兄も警視庁、講道館の猛将だった。
数日後、あの対決の事は、この社会である種のニュ-スとして流れたと推察。
事実彼は他の多くのセンターから指導の依頼を受けていた。
おそらくカナダの武道界筋じ、もしかすればRCMPの指導者の耳にも流れていると推察可能で有ろう。
何故ならば、ここカナダの警察は、防御(デイーフェンス)としての柔道の基礎は指導項目に入れられいているだろうし、その為の訓練はするが攻撃用技術は活かされていない様だ。
カナダの夏も漸く過ぎゆくころ、彼女もいよいよソフトボールコーチとして、シーズンのスタートに燃えていた。
新たにカナだの若い人達と、新たな目的と新たな希望に燃え、★ 彼女は、ただ、一人カナダの大草原に、チャレンジの旅に発つ!