バンクーバー掲示板 (フリー) - No.251379
「 京都大原三千院 」 「 Film Love is over 」 後編
(バンクーバー) 2019-06-23 23:43:57
「 京都大原三千院 」
「 Film Love is over 」 後編
「 新ロマンス 」 ~ https://www.youtube.com/watch?v=GCnjb1y4hHw
「 京都大原三千院 」
彼はふらりと京都駅前のバス停に立っていた。
目指すは大原の里、京都三千院に行く、ただその思いでここに来た。
~~ ご期待ください~~~
大原へのバス停を捜し始めたが、どの辺りだったか乗リ場か定かでない。
漸く、17系大原行きの乗り場が目に付き、調度停車中のバス停に彼は立っていた。
比較的空いているバスに乗り込む、漸く当時と今も変わらぬ長閑な光景だと思い返していた。
確か!このバスで良いはずだが!
辺りを見渡せど、座席も空座が多く、数名の人がぱらぱら立って見えた。
やがてバスは動き出した。
市内のメイン繁華街を幾つも通り抜け、見覚えの有る祇園前、京阪三条駅前が眼の前を通り過ぎた。
暫くバスは左右に揺れながら進んでいた。
「 出会い 」
「 空いているバスに、彼の他にも数名立つたままバスに揺られて、彼らも見慣れた外の光景に視線を流していた。
漸くして、大原まで,あとどれ位の時間か彼は気になってきた。
ふと彼は三千院までの乗り合い時間を思い出そうとすれど、思い出せない。
すぐ近くに立つ若い女性も、時間も気にせずそのままバスに揺れている。
そからバスは、暫く走り続けていた。
未だ彼は大原までの乗車時間が浮かばない。
一度バスが停車し、隣の乗客が降りたので、近くに立つ先ほどの女性に聞いて見る事に決意した。
運よく調度その女性と、お互いに視線が合った。
何かのお稽古用の花束を持つその若い女性に、話しかけて見た。
「-------」
「今、バスは調度市外地を外れた所なので、あと少しで大原の里に入りますと、快くその女性は教えてくれた。
以前、ここに訪れた事がありましたが、殆ど記憶にありません!
暫くして調度バスは三千院の入り口前に停車した。
着きました、ここです。
「-----」
他の数名の乗客に続き、彼ら二人も降りた。
一度彼女に眼で頷き、自然に視線による応対で二人は歩みだした。
「-----ーーーー」
彼はバスを降りるや、今来た方角に振り返り、人言の様に、今も変わらない長閑な里ですねと!「 呟いた~!」
「----」
#2 「 大原三千院 」
今日は週日ですので、週末頃には少し人手は多く見られると思います。
今日は貴女のお稽古あの日ですか、と言い、二人はそれとなく、三千院の入り口へとゆっくり足を進めていた。
ふと彼の方から、私の田舎は四国の国分寺町と言い、今も故郷には古い国分寺のお寺が見られます。
彼女も何時の間にか、それでは貴方の田舎は四国の、80八ヶ所で有名なあの聖地だと聴いています、と答えた。
彼もそれに反応し、私の中学時代の担任の先生は国分寺の住職で、お坊さんでした。
「 ~~あら担任の先生が!」
その日は彼女も稽古事も方付き、彼にとり今日は、この大原を彼女が案内してくれる話になった。
私は宗教の事は、全く解りませんが、何故か古い日本のお寺の庭や、その歴史や建築に少し興味があります。
今日は、ここに出て来た訳ですーーーー!
私もお稽古事に特別興味はありませんが、小さい時から習い事をしています。
男性「 私も最近田舎の友達に勧められ、お茶を習い始めた所ですと、付け加えた」。
彼女が「 あなたのお茶の流派は何流でしょうか 」
「 裏千家です 」 「 ~~私も裏千家です」。
お恥ずかしい事ですが、故郷の知り合いの娘さんに誘われ始めた所です。
ですが、彼女は女子大生なので、メンバーは皆女性ばかりで、80名近くがお稽古に通っています。
先生は、裏千家の直弟子と聞いて居ります。
それでは、どうでしょうーーー!
先生の殆ど毎回の講義は、女性に関する話が殆どの様な気がしています。
それも女性にとり、なんだかお説経されている様な気が常々しています。
「-----!」
「-------!」
その後二人は静かな境内を周り、一番大きな講堂と思える建物の一室に通された。
彼は講堂の中央に座り、広々とした広間で一人庭を眺めていた。
そこに何時の間にか、彼女の伯母さんと、彼女が現れ、お茶を点てきましたのでと、彼の座に指し出された。
彼も何とか自信のないまま、出されたお茶を飲み干し、懐紙で口を拭き、無事に飲み終えた。
その後の彼女の伯母とも暫らく話を交わしたが、彼自身その時の記憶が、何も無い程緊張していた。
「 --- ハアー 」最近俄かに習いだしたものですから、作法も自信が全くありません。
私には全くの初歩なので、出された茶器の名前も、器の値打ちも皆目わかりません。
その後、叔母から一言、それに男性にしては、落ち着き、珍しくも綺麗なお手前でしたと、良い点数を叔母から言われた。
「 エーエ 」最近初釜式に召集され、学生さん達の送り迎えのドライブ、お濃茶も十名近くの学生さんに同伴し、何とか無事終えました。
その後、着物姿の女性達の送迎に夜まで走り回る一日でした。
彼女の叔母は檀家の一人と言うことなので、代々に渡りこの寺のお仕事に関係していると解った。
叔母は檀家の一人であり、長年、この三千院のお世話をしてる人でわと、彼にもうすうす予想がついた。
それでは、貴方の茶道の先生も「 吉祥寺 」にクラスをお持ちとの事、元はあの裏千家の直弟子さんと言う事まで叔母は通じていた。
そうですよね、全国幾百万と言う、お弟子さんを要する裏千系の総家本ですよね!
その後、二人が本道の裏に回って玄関近くに戻ると、今度は彼女の勧めで、お昼に近いですよと言い、ここに美味しい「おうどんも食べられます」と言う。
出されたうどんを口にしてみたが、スッキリーした薄味で、見た目も美味しそうな月見うどんだった思った。
その後、彼女の勧めで、更に近くの寂光院も回る事になった。
寂光院への道すがら二人の会話は、その帰路彼自身思い出そうとしたが、不思議な事に皆目、その時の内容さえ思い浮かば無い有様だった。
若いとは言え、それだけ「 彼女とも初回とはいえ、その時その時の思い着きの二人の会話に 」終始落ち着かなかったと、彼自身反省の一日だった。
ただ、少しだが彼れ自身は出来れば「 これからは、海外に出て自分自身の意思で歩んでみたいとーーーー!」 そう彼女に熱く語った事だけは、少し記憶に残っていた!
その時あなたは、大きな夢をお持ちですねと、彼女は数回彼に問いただしていた。
あの日は、その他に一番本人が気になって居た事が家に着くまで、彼の記憶から離れなく、数ヶ月も消えない程だった。
それは昼食の折り、彼女が出してくれた月見うどんの代金や、彼女の伯母に出された、お茶代の支払いに関して心残りだった。
問題にはならない程小さな事だが、それでも彼自身には、何か気がかりが残った。
それは一方的に後の日に彼だけの後悔の様だった。
帰路の折りバス停でも、彼女からのその日のお世話の礼と、彼女の行為の支払いを数度言出だしても、何故か軽く話が途切れて仕舞いだった。
その事が彼の心残りとして、何時までも記憶から消え去らなかった!
その事を先輩のパイロートに話した所、それは少し無愛想だろう!~~だった。
それに加えて、彼女にせめてもの礼状の送り先も解らないとは、無責任な大人だと思われた事が気掛かりでならなかった。
その内次回に再度行く機会があればと、彼も思いながらも何時しか時が経つのを忘れていた。
#3 「 再度訪ねる 」
その後数ヶ月が過ぎ、彼は次回にも、再度大原の里を訪ねたが、生憎彼女に会えず、お礼の事は再度忘れかけていた。
それから次の年の夏再びお寺に行く機会を見つけ出掛けた。
だが、その時も、彼女は学校の行事がありその事情で彼女と会う事はなかった。
その折り彼の残したメーセージに、ある日の夕方彼女からのメーセージが届いてた。
夏も終わりに向かう頃、彼は富士山での一夏のガイド一の仕事から下山して来た折りだった。
その時は彼女の方から、彼の所に行きたいと言う意向であった。
彼もその事に少なからず驚いた程だった。
その彼女の理由とは、以前からここ静岡、東京周辺の学校から夏期には富士登山が盛んで、彼女自身も是非登りたいと、かねがね希望で有ったと言う。
その山での生活の話を、ここまで彼に聞きに来るという話だった。
それから数週間が過ぎた頃、こちらに来たい機会があり、こちらまで行きたいと彼女のメーセージが届いていた。
それと同時に、調度その折り、彼の下宿に( お寺に )彼の先輩が東京から出てくる時と重なっていた。
その日は、ここのお寺の娘さんは彼女の女友達と二人で、態々ここ関西空港まで彼の先輩を、迎えに行きたいと話が出ていた。
なので、幸いにも彼自身空港まで急遽行かなくて良い事になった。
だから京都からの彼女のお付き合いには支障はなしと、彼も都合が良いと喜んだ。
彼も安心し、その日は思い切り彼の予定に沿い、彼女の道案内も彼の予定に合わせた。
その日の夕方、先輩とお寺の娘さん達も、彼らと加わり初めて5人が合流した。
その決果皆で外食と決り街に出た。
その折り、先輩はその合同の外食の際、次の夏には山小屋の親父さんに「無給でもいいから山で働きたい」と言う話まで、彼に持ち出してきた。
彼は、彼の本職である、パイロットの仕事までも、山に登る事を優先しての決意だった。
その日の外食は勿論パイロットの方で持てなしとなり、5人で久しぶりの楽しい時間を過ごした。
それを聞いていた大原の彼女も、「 私も、是非山に行きたい 」と、後日丁重なメールで彼に依頼のメールで伝えて来た。
それから次の春が来て、それ以来、彼に祇園祭りの宵や、一際賑やかな他の祭りに合わせて、彼女から大原の里に招待の便りがあった。 OK June/22
#4 「 雲海 」
彼自身は、昨年大学の夏休み中、アルバイト生募集の掲示板で、その事を確認していた。
数日後、電話で交通費用支給の条件等で、彼は単身静岡の御殿場市に行き、山の持ち主の旧家まで、面接に出向いた。
条件としては、3名の学生を求めていていた。
その内の一人は、建築士専攻か、それ同等の資格を持つ者を希望と、少し厳しい条件も含まれていた。
又、条件として、近郊の高校性対象なので、誠実で親切な若者を捜して欲しいとも言われた。
又、山歩きも団体の学生達なので、親父さんは体力も有る若者を特別希望していた。
そこで、彼は大学のキャンパスから、面接に合う者を、選考して欲しいと依頼された。
早々大学のキャンパスから、真面目そうで、少し他にも何か経験の有りそうな一浪の2名を友達の中から選んだ。
さすが、大学のキャンパス、選考には何ら問題なく捜す事が出来た。
中には法科専攻、建築課専攻の者と、頼もしい兵(つわもの)も選ぶ事が出来た。
富士山へは、山開きの1週間前に、富士山のある御殿場市に集合となった。
彼はその日、キャンパスで選んだ2名と3人で、親父さんに会いに御殿場市向かった。
初日は山小屋2棟の持ち主の、大きな旧家に居候し、親父さんや家族の案で、その日は三人の為に家族全員で、豪勢な馳走の接態を受けた。
その夕方は夜中過ぎまで、親父さんから富士山での夢の様な話や、夜や朝方にはマイナスとは行かなくも、外気は夏なのに10度近くに下がる等と知らされた。
その分、夏とは言え、涼しくて快適な夏休みになりそうだと三人で喜んだ。
小屋は日中とは言え、既に秋の気温なのである。
小屋には、火燵も用意されていた。
山は朝に夕に目の前に雲海がどこまでも広がり、そこに富士山の影富士も見られる。
又、山小屋の標高は3,000m級なので朝夕には、時には辺りは無限の様に広大な雲で敷き詰まり、その雲の上を歩けるかに雲海が感じられる。
その事はまるで夢の様な世界だと聞かされた。
満点の夜空の美しさ、そこには若者達男女の話声や、時には寝静まっても70名近い学生達のひそひそ話が夜中続き、特に夕方は、外も内外の小屋も若者達の楽園に変わると!
又、その夜空の下に、近郊の下界の街々の光が点滅し、その満点の夜空の美しさが河の様に光る。
時には雄大な富士の夕昏が茜色に染まり、初めて目にする感動の瞬間に酔いしれる。
それら雲海の雲間にキラキラと浮かび輝く下界の光景は、更には遠く伊豆七島に伸びる島々も見える。
その間山小屋の周辺でくり広がる恋人達の楽しい会話の一時!
即に時を分かち合った若者にとり、忘れがたい思い出がそれぞれの若者の心の何所かに何時までも残るかも知れないと思う。
これらの楽しい話が、次第に実感として伝わって来る。
それに昼間は活動するので、何と言っても兎に角食事は「旨い」に尽きると解った。
などなど我々若者には好条件は揃っていた。
注; これまでにも、これらのユニークな話をパイローットにも時折り話していた。
それらの話は、今回のパイローットのご指名となり、彼にも山小屋の親父さんを紹介し、無給で働きたいと言う話にまで進展しだ事になる。
それらの話を、大原の彼女にも少し耳に入り、彼女も「その病に取り付かれたのか」来年の夏には彼女からも、是非とも案内して欲しいと頼まれた。
その翌年の夏、彼も道案内を乞い彼女と富士の案内に行く事に決意した。
#5 「 お中道巡り 」
これらの仕事は彼にとり何時もの慣れたコースの様になって居た。
富士山の中腹に伸びるこの水平な富士を一周する道なのである。
「 海抜3,000m 」
今日は彼女の為に、このコースを彼が選んで案内する特別の日だった。
その理由は、彼は登山初心者で有る彼女に気使い、明日の本番に備えての山歩きなのだ。
今日一日を賭け、海抜3000メートルに慣れてもらう為でもある。
彼女は今では学生生活から暫く離れていて、都会の生活に慣れ、日頃は平地で激しい活動は遠のいて居た。
その他にも、初日から学生達と動向するのも良いが、今回は二人の疎通を交わす好い機会でもと彼は考えていた。
何故今回の登山を彼女が選んだか、又、彼女の将来の希望等にも彼は関心がないでもない。
何時の間にか、二人はお中道を進み、今回は彼の故郷の有触れた生活談や幼少の頃の話に、何時もより彼女は気楽に彼に打ち解けてくれた。
今二人は調度宝永山の真上の小道に差し掛かっていた。
遙か下方には、巨大な噴火の深い跡を大きく覗かせていた。
大きな噴火口でしょう。
遠くからは余り感じない様ですが、自然は驚くほど巨大ですよね!
そうだ、昨年のここでの私が眼にした体験を少しお話して見ましょう!
「エエー,是非聞かせて下さい」。
ここ富士山での山の生活も終わる頃、そう、いよいよ冬山当来の初期の頃でした。
この辺りの小屋でも、少しの風でも夕方頃には一変し、翌日の朝から強い風に変わっていました。
それから更に数日が過ぎた頃、いよいよ風は強くなり、一度小屋の外に出て見ていると、数時間後に下からこちら向かう御殿場口コースを登って来る数名の登山客が我々の眼に、入りました。
その火口に近着く頃から、彼ら数人ががふらふらとしながら、大きな荷物を背に転がりそうに見えて来たかと思いや、一度など3人とも同時に転げるのが見えました。
その時3人共腰のロープで続がっていました。
それでも、彼らは、何とか、更に上を目指し進んで行きました。
注;勿論、眼鏡を使用している人は、瞬時に砂で壊れてしまいます。
彼らは、富士山の観測隊員の交代の人達と思います。
翌日の昼間から、私も友達と二人で、火口の入り口辺りまで出て、チャレンジしましたが、火口に5メートルも近ずけない程の強風で、腹ばでの姿勢で前進も、体全身が浮いてしまい、風で吹き飛ばされそうなりました。
そうです、まるで木の葉の様に、自身の体が地面から浮き上がるのです。
この風は、この季節に高度に吹く、上空独特のジェート気流で、強い季節風だと思います。
彼女、「怖いお話ですね」!「 正にその通りです 」。
関東周辺の人々も、お馴染みのあの美しいこの富士山の長い裾野の稜線の富士山ですが!
私も以前丹沢から数日間見えていたあの穏やかに見えた優しい富士山です。
1日中早朝から夕方まで、聞こえる小鳥の山々が今も忘れられません
彼女「 日頃綺麗に思える自然も怖い面があるのですね 」!
「 そう思います」
彼「 私の知っているお話をもう少ししてみましょうか!
日頃、優しく感じる大自然にも脅威があり、日頃は我々には遠い世界に感じていますが~!
これも余計な話となるかも知れませんが!
注特別; このパイロットは憧れの英国航空のベテランパイロットだった人です。
この彼が、当時のイギリスからアジアーの一画、この日本に飛ぶコースに慣れて来た折りでした。
その頃最新式旅客機の機長として、このコースを時々飛んでいました。
ヨーローパーからの乗客を、数百名日本に運んでいました。
その日は、日本上空は快晴日和で、多くの客も富士山を始めてみて、日本に近着たと確信していたでしょう。
詳しくは、この際この辺り避けて置きたいと思います!
機は、徐々に山に近着き、より鮮明に間近に見たい気体が有って当然だろうと思います。
その時、このジェートに突然何か異変が生じたそうです!
富士山の頂上を見ながら機は突然空中分解をして仕舞居ました!
この際、詳しくはその程度に擱きたいと思います!
その事は世界にとり、ショークでは有りましたが、殆どの人には知られていなかった様です。
ただ、人も、機体全てが、一瞬に下方にバラバラに落ちて行った事は事実なのです。
その事は日本中が大きな悲しみに包まれた。
原因は私には定かでないが、富士山周辺の気圧と、機内のそれとの差が、限界を超えた事ではないでしょうか!
私自身は可能ならばこの件を著書に、その経緯や、パイロットのその後家族の生き方等も、ストーリに映画化にして描いて見たい!
「 Love Story 」 Where Do I Begin by Jon England. https://www.youtub.com/watch?v=GCnjb1y4hHw
もし、貴女が怖いと感じたならば、何時でも、イヤダーと言って、私の話をストップ、して下さい。
この富士山形成の歴史は実に古く、約50億年前から、主に3回の噴火を繰り返し、今では優雅な佇まいに見えています。
ですが、この美しくも穏やかに見える富士山も、数十万年の年月をかけ形成され「 現在のこの穏やかな山裾の姿に変化を繰り返して来たそうです」。
このお中道の直ぐ下の宝永山も、ごく最近宝永年寛の江戸時代の噴火で出来たそうです。
その3度目の折り、噴煙は今、我々が立ているこの位置から、上空2万メートルにも吹き上げ、それは当時のここから100キロ先の江戸の町に数センチの灰を積もらせたそうです。
眼下に遠く広がるこの広大な田園風景も、恐らくその大地は、50メートルそれ以上の砂の体積層で形成されているそうです。
もし、~ ~もしも、最近騒がれ始めた、その事が事実となればこの日本の国はどうでしょうか~!
日本の現在の首都園にとって東京の現在の機能は、想像も及ばない程の壊滅の危機を招くかも知れません!
もし、被害が我々の想像それ以上であれば、更に近隣のある国々も、消滅への可能性も、あるかも知れないそうです。
ふと気が付けば、二人は静岡県側に進んでいた。
いよいよ折り返し地点だと、二人は少し引き返し、道を少し外れ下の砂地の谷に降りて行った。
そこで彼は持参した小さなショベルで、砂地を掘り下げだした。
掘り下げた底から万年雪を掘り出し、出て来た氷を鋸で上手く切りだした。
この事には、彼は慣れていて、大凡だが何処の谷間に万年雪が埋まって居るか検討がつく程だった。
これが飲み物を冷やす為の氷だと説明し、持参したプラスチークに丸め更に防水シートで包め彼の背に背負った。 OK
#5 「 ご来光 」
早朝は彼れら今日のリーダ達の声に始まり、その日は、皆早起きしていた。
まだ真暗い朝の内から食事の段取りや、学生達に食事を用意し「その折も外では未だ真暗闇の中から学生達の話し声がこちらに流れてきていた。
次第に囁きが声がやがてザワメキに変わり、見る見る内ちに、まるで戦場の様な騒がしい朝に変わっていった。
早朝は予想以上に学生達も目覚めもよく、早くから、外に出てひそひそ話しをする者、未だ深夜に近い暗闇の冷気も気にせず、近くを歩く者、荷作りを確信する者と、震える様な高山(3000m)の冷気も彼らにはどこ吹く風と、気にしない若者が居た。
その理由は、今日は間もなく皆でご来光を見られると期待しているからで有ろう。
それでも、4時過ぎの僅かな光と共に全員外に揃った様だ。
今日の担当の者が先頭に立ち、次第に列は前進しだした。
暫く彼も彼女と冷静に彼らの反応を見守っていた。
暫く進むと、辺りは僅かな光が当たりに広がり誰からも寒いとは聞かれなかった。
それでも、薄日がキラキラー当たりに広がる頃には、若者達の声と同時に、喜びと思える歓喜の喜びに変わり、辺りは俄かに騒がしく変化して来た。
暫く進むと辺りは急に騒がしい雰囲気に変わり、その場はそれぞれが声高に喜びと思える、叫び声さに変わっていった。
いよいよご来光の歓喜に興奮してきた様だ。
その冷気の中で、他の者と寄り添い、辺りは未だ暗いというのに互いに肩を組んで写真に収まっていた。
それぞれが暫しの歓迎を分け合い、安心して自然に隊列を作り、更に登り始めた。
何処からか、静かだが彼らの合掌が次第に辺りにこだましてきた。
「お山は晴天ドッコンショージョー 」と歌声に、それぞれが声を合わせ、その力強い歌声は、上下5合目、6合目の各小屋からの全員約150名余りの力強い大合掌に変わった。
既に海抜3700.メートルを過ぎ、いよいよ、道は、小さく折れ曲がり、その分歩調も少し乱れてきた。
その事は現実に若者達にも影響が出てきた様だ。
それがピークと思え、次の8合目で、数人が動けなくなり、その小屋に残さねばならなくなっていた。
彼らは帰りに連れて帰る事になる。
これらの現象は、当然山では起こりうる。
本当の意味で、高山病にはならない高さだが、人はその日の僅かな体調で、特に山登りになれば容易に貧血症に陥る。
特に山での夜は、多くの場合誰もが睡眠不足に陥る。
幾ら健康な若者も、山では自然なのである。
彼らに続き彼女も少し気力に現れたと、彼も気になって来た。
そこで、少し休み、又進み、彼女の気力も無理はしない様にと二人は後方に移った。
始めは山登りの杖を使い、それに彼女が掴まり、彼が前でそれを牽いて歩んだ。
彼も更に気使い、無理をしない様にと励ましながら、二人は後方から列に沿い進んだ。
心配しなくても、私には他にも方法があります。
貴女が疲れれば、私があなたを背に乗せ、移動するので大丈夫です。
そうです、貴女を背に乗せ私が進眼ます、昨年も何度が経験して居ります。
終いには彼女も彼の意見を受け入れ、彼の背に頂上に向かった。
その後流石の彼女も、彼の背でぐったリして、暫く寝入っていた様だった。
彼の十分な経験と自信は日頃鍛えた彼の気力と体力で漸く彼女を背に、彼は一歩、一歩登り始めた。
それでも9合目辺りで、登りは更に厳しく、小石と食い込む砂地に、足を取られながら困難は増して行った。
9合目の山小屋にも数名と没落者は更に増していた。
少なくとも出発から各小屋に残した若者は男女も含め十数名に登った。
彼も強い体力とは言え登りの歩行には体力を、数字で現せば、平地の約7倍の力の負担がかかり、彼の背の彼女を考慮すれば、更に一人分の体重は増す。
その分登りは難度となる。時には大きな石の階段も増えていた。
それでも9合目辺りで、登りは更に厳しく、さらに岩や食い込む砂地に足を取られ困難は増したが、彼は要領もあるといいながら頂上まで登り詰めた。
途中早朝の太陽を見ながら、皆で休息もしながら、怪我人もなく、漸く頂上の富士登山口の大きな門まで辿り着いた。
彼女もそこでも暫く休み、その後の頂上の道は自身で歩める程回復していた。
小屋に帰り着くと、山小屋の親父さんから、彼はベテランで最初の日から頂上まで数名担ぎ挙げたと、話が出た!
下山から数日経ちキャンパスに帰ると、彼宛に一通のメールが届いていた。
それは富士山登山の思い出として、大原の彼女の母親からの一通で、丁重なお礼の手紙だった。
これらの富士登山は彼れら高校卒業記念行事として、遠くは浜松、静岡、東京方面からで、特に私立校の例年の予約が多いそうである。
それぞれの学生達の、忘れえぬ思い出であり、一際京都の彼女にも、これからの人生に向け何かと感慨深い記憶に残るのではと!
「 再会Ⅰ」 時は流れ ~ Canada
その日も仕事の合間を見て、彼は何時もの様に運動着に着替え、海峡を望む吊橋の見える海に面したアンブルサイド公園に出ていた。
広々とした芝生の上で、犬のTopcy(セトランドセルテイー )と駆け足をしたり、暫くストレッチーを兼ね駆けていた。
やがて軽い槍投げも初めていた。
先ほどから、こちらに数名の身なりもきちんと整い、しかも何れの人も長身に見えるグループが、こちらに歩いて来るのが眼にとまっていた。
正しく、何処かの航空会社のクルーではと思われ、彼はすぐさまそう判断した。
恐らく雰囲気から日本からのクルーとではと、彼は何時もの直感でそう判断していた。
彼らはお互いに語り合いながら歩いていた。
また時には立ち止まり、暫く話をしたりしながらこちらに移動していた。
彼はその中に先頭の一人の男性が目に留まっていた。
その男性は、彼の運動の練習にも気にしている様子に思えた。
この街には、時々これらクルーが見られる。
リーダー格と思える男性が、ちらちらをちらりと見ている様にも、彼は気に取れていた。
更に近付いた居り、彼と目が合い、彼も暫く動きを止め、自然に日本からこられた方々ですかと、その男性に話しかけた。
日本航空のクルですかと、ストレートに話しかけていた。
ハイそうです、と答え、あなたも日本人ですかと問いかけてきた。
もう、長くこちらに~!
私の先輩も元航空のパイロットがここに住んで居ります。
暫く彼と立ち話の後、彼らと別れた。
先ほどまで、ゆつくり進んでいた女性達の中に彼も加わり、更にその近くの海岸に向け移動しだした。
それらの5~6名の女性の中 に、彼自身、全く気付かなかったが、「 一人の忘れえぬ。。。 」思い出の女性がいた。
だがその時は、彼自身気付かなかった。
それには当然とは言え、彼にはその女性が余りにも成長した女性に変って見えたのである。
彼とて、その時は見抜けなかった。
あの富士登山の居り、彼は偶然にも彼女を背に3,000メートル級を頂上まで背負い挙げた。
その時は17才頃の女学生は、今はプロのスチューワデスに成長していた。
今は犬のトプシも芝生に横たわり、彼も次第に走りも入れた投げに移っていた。
その折り先ほどの一行が再びこちらに向け折り返して来ていた。
彼らも、それとなく一度彼の投げを見守る程度に立ち止まり、チラリと見ていた。
彼も投げるのを止め、彼らとお互いに軽く目で挨拶を交わした。
「-----」
彼らクルーも再び帰りだした。
だがその内の二人の女性は、少しこちらに歩み寄り、その場で立ち止まった。
彼もそれに気付き、二人の方に振り向いた。
「--------」
彼も向こうの二人も、何やらその変化に気付いた様子だった。
瞬時に彼の方から「 何か!」と彼女達に声を掛けた。
その内の一人が、彼の方に歩み寄り、止まった。
彼も彼女の方に少し進み「 何か!」と再度問い掛けていた。
「----」
今度は彼女の方から「 確か以前、一度貴方とお会いした事がある者です」と!
一瞬彼の方も緊張し、暫く二人共お互いの眼が合ったまま止まっていた。
今度は彼女の方から、一昨年の夏の折り、富士登山の時、貴方に大変お世話になった者です。
次の瞬間、彼も即座に顔が熱くなり「 エ~~あの時の~ 」とだけいいかけ。。。」 漸く、あの時の~!
「 そうです、お久しぶりです」。
「-----」。
失礼しました。
そうですか、あの時の貴女でしたか!
「 -------」
「 そう、私の背に~ 」 「 あの時のーーー!」
初めて彼もその時の記憶に帰り、あの時と~貴女は変わられていて、到底同じ貴女とは思いも及びませんでした。!
改めて、失礼しましたと、彼は躊躇していた。
「----」
「 美しくなられた 」。
あの折りの学生さんから~、彼の声は途切れ気味だった。
「 一度帰国し、次のフライトの折り、是非とも、もう一度ゆっりお会いしましょう!とお互いに熱い思い出にしたった、一瞬だった。
「 再会 Ⅱ 」
それから10日と言う日が過ぎ、彼らのクルーは再びここカナダを訪れて来た。
「 北国への旅路 」 カナダの国、パイオニアーの歴史の世界、そこに住む人々の心の歴史でもある。
Ⅰ
「 チャドウイーク邸建築プロジェクト 」新工法とも言えるヘリ駆逐の新築であった。
注;「 解説 」 (事実のストーリー、いよいよカナダでの活躍)
それは超モダンとも言える建築工法で、完成すれば恐らく他にも類を見ない珍しいプロジェクトになるであろう。
「 それ故かヘリコプター駆逐の話の始まった時点で大手新聞でも紹介された」
何故、カナダに来て未だ日は浅い私が、国籍は~日本人でもある。
--続く
私がお風呂場の掃除道具を片付けて手を洗っていると、休日で家にいた浩介さんが脱衣所に入ってきた。
「ああ、風呂掃除してたのか。悪いな」
先程まで子供たちと庭で遊んでいたようだったけれど、どうやら汗を流しに来たみたいだ。
「もう済みましたので、すぐ入れますよ」と微笑んで扉を開けて差し上げると、シャツのボタンを外した浩介さんが近づいてきた。
間から見える筋肉にドキドキして、顔が赤くなっているのが自分でも分かる。 あの逞しい身体に抱きしめてもらうのが好き。仕事中だというのに好色な考えが頭をもたげて堪らなくなる。この家に来て浩介さんの女になったけど、まだ自分からお誘いできるほどの自信はないのに……。
「早月も一緒に入ろう。上着がびしょ濡れじゃないか」
私の気持ちを察したかのように、旦那様が触れてくる。確かに掃除中にうっかり水をかぶってしまって、胸元が濡れてしまっていた。旦那様の言いつけで昼間もブラを外しているから、乳房が透けて見える。
「あっ…♥ ゃぁんっ……♥」
「こんなに乳首を尖らせて……早月は恥ずかしい子だな?」
冷たさで布地を押し上げるように反応していた先端を、指でゆるゆると撫でられた。その刺激でさらに勃ち上がって、我慢できず
「んっ♥ んっ♥」と声を漏らしてしまう。
「ほら、脱いで。シャワーを浴びような……」
キスされて唇を優しく喰まれながら、ずっと乳首を捏ね回されて……私は言われるがままに洋服を脱いでいった。旦那様は楽しそうに口元を上げてこちらを見つめている。唇を合わせながらの淫らなストリップで、身体はすっかりその気になっていて……最後に下着を脱ぐ時は、濡れた蜜が伝いそうなぐらいだった。
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うーん、フランス書院にでも就職したら。
でもまだあるのかしら。