カナダ掲示板 (生活) - No.254428
黒焦げの塊は母、触れるとポロポロ崩れ落ちた…今も喪失感残る被爆者
(トロント) 2020-08-09 15:22:21
75年前の8月9日午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500メートルで原子爆弾はさく裂した。直下の街は跡形もなく消え去り、人々は一瞬で命を奪われた。生き延びた家族は、大切な人の 亡骸 なきがらを抱くこともできず、今も喪失感を埋められずにいる。
名古屋市の犬塚静子さん(92)は、爆心地から200メートルほどの自宅で母と姉、妹、2人の弟と6人暮らしだった。「空襲があったらこれを真っ先に防空 壕 ごうに入れてね」。あの日、知人から上海みやげにもらったお気に入りの革靴を指して軽口をたたくと、母は笑って送り出してくれた。
勤め先は約3キロ南の県庁。 閃光 せんこうを受け、机の下に伏せた。夕方、陸軍病院に勤務する姉と病院の防空壕に身を寄せた。2日後に自宅に向かうと、辺り一面何もなかった。
勝手口があった場所には、黒焦げの塊があった。母だった。触れるとぽろぽろと崩れ落ちた。そばに転がっていたカボチャをたたくと、鮮やかな黄色が現れた。「カボチャですらそれと分かるのに、母のかけらは何もない」。涙も出なかった。城山国民学校に通っていた弟2人の行方は分からず、学徒動員先の工場にいた妹も戻ってこなかった。
今も原爆への怒りは消えない。「戦争は善人を悪魔に変え、人を死滅させる原爆を落とすこともいとわなくなる」。家族を奪われた被爆者として伝えたい。
それが戦争だよ。
神も仏も殺す。
ただ人口調節の自動機能だった。
どんな動物でも十分に餌を与えても十分な空間がないと大抵自分たち自身で殺し合うもの。
人間の入れ物が地球だけで終わるなら調節しないといつかはそういう日もくる来るんだよ。
戦争体験者の話を語り継いでいかねばなりませんね。
中国に落として8億人ぐらい死んで欲しい。
3みたいのがいるから日本人や日本が誤解されるんだよね。日本を貶めるな。
二度と同じ過ちを繰り返さぬように語り継いでいかねばなりませんね。
戦争体験者の言葉は貴重です。
これは下の世代に戦争の悲惨さを語り継いでいかないとですね。
戦争反対