トロント掲示板 (フリー) - No.9107

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宗教について

どうなの? (トロント) 2006-11-23 23:21:26
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日本人の友人が、カナダ人と宗教についての口論になりました。けれどそこでふと疑問に思ったので、皆さんの意見が聞きたいなと思いトピ立てます。日本人を他に知らないもので…;;すみません長いです。

友人は、カナダ人の友人に教会に一緒に行こうと誘われ、神なんか信じないし危ない感じだから嫌だと頭ごなしに否定して口論になったそうです。喧嘩になるから何があっても宗教の話はもうしない、と彼女は言ってます。

私も無宗教なのですが、カナダに来て色々と学びました。

確かに矛盾した教えを持つ宗教は多いです。例えばオーソドックスなキリスト教ですが、聖書が歴史上幾人かの手によって再編集を繰り返されているため、小さなところで矛盾が生じたり、アバウトな表現で書かれたりして信仰者の解釈に委ねられている事も多々あります。

しかし、日本人の「宗教=カルト=危険」という認識は、それこそ改めた方が良いと私は思います。

私は、宗教とは、マナーやモラルを学ぶ手段のようなものじゃないかと思っています。日本人は宗教の概念を「取り払う」事を第一にしているような風潮ですから、本や、子供向けの漫画にまで「神は居ない」の連発…。これは宗教信仰者に対して「お前らはモラルが欠落している」と言っているのと同じ事。また、彼らにとっての「マナー・モラルをきちんと守る手段」が欠落している日本人は、やはり同様に「危険な人」でもあるのかもしれません。

無宗教というのは、ある意味では強さだと思います。死後の世界が本当にあるのか分からないから、それを怖れて生きているうちに良い事をしよう!というネガティブな発想でない、それでいてをきちんと道徳がある事は良い事だと私は思います。しかし、だからといって宗教信者を全面的に否定するのはどうでしょう?

確かに宗教戦争や、サリン事件のような宗教がらみの殺人は多々あります。宗教上、悪だとゲイが殺されたり…。教会だって「運営」しているのですからお金は必要ですし、教えを広める事が「教え」なのなら、積極的に布教活動をするのは彼らに対する神への奉仕・ひいてはマナーなのでしょう。しかしその傍ら、他国の餓死寸前の子供達に、食べ物をちらつかせながら「神を信じる?信じない?」のような半ば脅迫的な布教活動をする人々も居ます。

そういった道徳の無い行動を否定するならまだしも、信じるものが「みんなと違うから」「普通じゃないから」といった概念で人を否定するのはおかしいのでは?

みなさんどう思いますか?

返信‐1 Yoism (トロント) 2006-11-24 00:55

Sam Harris(著)の『End Of Faith』をじっくり読んでみることをおすすめします。テレビでも話題になったし、トロントの本屋さんならたいてい置いてます。あなたの宗教に関する疑念を払拭するきっかけになるかもしれません。

返信‐2 無宗教 (トロント) 2006-11-24 03:37

正直、トピ主さんが、宗教を肯定しているのか、否定しているのか、混乱しています。
なので、私の宗教に関する考え方を述べます。

日本人すべてが宗教=カルト=危険と思ってるかといえば、Noだと思いますし、私もそうは思っていません。
宗教という名の元に非人道的なことを行っている団体もありますが、すべてではないですよね。
それでも、私は宗教と言うものが嫌いです。もしかしたら、宗教とは、人間は、一人では生きていけないとか、
何かに頼らなければ、生きていけないということから始まっているのかも知れませんが、
そこには、多くの甘えが存在し、その甘えをお互いになめあうためのものが宗教団体のように思えるからです。
私の人生の最大の課題は、人に迷惑をかけないようにすることです。もしかしたら、この根本が
私を無宗教にしているのかもしれません。
また、トピ主さんが、おっしゃっているように、その”神”を信じる人々が、陶酔しすぎることにより、
お互いに結束し、教えを疑問に思うことを許さず、すなわち、疑問をまったく持たず、それ以外を排除していく
ようになることがあるという”危険”もはらんでいます。

トピ主さんが言っている ”「信じるものがみんなと違うから」「信じるものが普通じゃないから」といった概念で人を否定する”(かぎ括弧の位置をあえて変えて、言葉をたしました)というのは、両方に言えると思いますし、どちらかと言えば、宗教を持っている人に多いと思います。


昔、ちょっと知っていたシングルマザー二人の場合、
一人目の女性Aはカソリックです。彼女には、当時5歳と6歳の父親の違う子供がいました。
過去に結婚をしたことはありません。
子供が小さいから、という理由でまったく働いていませんでした。
子供たちの父親から、養育費をもらっていたとは聞いていません。生活保護を受けていました。
それでも、自分たちは、神様に守られている。だから、それに恩返しするためにと、
ほぼ毎日教会に行き、布教活動(奉仕活動も含む?)をしていました。
二人目の女性Bは、無宗教です。彼女にも、2歳と3歳の子供がいました。離婚しています。
多少の養育費は子供たちの父親から送られてきますが、それでは、とても足りません。
1日に14,5時間働き家計を支えています。とりあえず何とかなる程度の収入はあるので、
生活保護は受けられません。
どちらの女性がより社会に貢献しているでしょう?
宗教を持っているから、道徳的であるいえるでしょうか?

私は、宗教を持っている人や、宗教自体を否定するつもりはありません。
それによって、人が本当に社会に貢献し、道徳的な行動をできればよいと思うだけです。
しかし、残念ながらそうではないことをよく見受けます。

返信‐3 s (トロント) 2006-11-24 05:00

どうも考え自分自身でも考えがまとまっていないのでは?
文章が要領を得ていませんよ。

宗教が必ずしも危険なわけではありませんが、理屈を越えたものを信じるからこそ宗教は宗教なのであり、
またそうした理屈を越えたものに対する信仰を体系化し、独自の世界観や論理、ルールを構築したのが
宗教です。ですから、どのような宗教も反社会的になり得ますし、必ず危険な側面をあわせ持っています。
宗教を単なる社会道徳やマナーの手段と看做すのは、それは世俗化した宗教(換言すれば不真面目な宗教)
のみを見ているためでしょう。

とはいえ、我々はしつけによってマナーや善悪を学びますが、こっちの社会ではそこに宗教が大きくかか
わっていることが多いようですから、そういう人たちに向かって宗教を「危険」と言ってしまうのは、
その人の道徳観を根底から否定することになりかねないので注意が必要でしょうね。

返信‐4 トピ主です (トロント) 2006-11-24 07:33

宗教vs無宗教ではなく、無宗教はたくさんの宗教があるうちの一つでしかないという感覚でしたので、宗教を否定も肯定もしていませんでした。でも確かに、理屈を通り越したものに答えを与える事によって信憑性を持たせ、その世界観の特有な道徳・規律を守らせるものが宗教のデフィニッションであるなら無宗教は全くの別物ですね。

すっかりトピックの方に書き忘れたのですが、返信3さんの仰る通り自分の考えがあまりまとまらず友人にも全く助言できなかったしだいです。勉強はしているのですが、人の意見も聞きたいなと…。

返信‐5 yossy (日本) 2006-11-26 17:39

多分毎週日曜日に行われるミサへ誘われたんだと思います。キリスト教が主流の国なら誰でも気軽に行けるものです。服装はワンピースorスーツみたいな格好でよいと思います。日本だと勧誘されやすいですが外国なら旅行(short stay)といえば危なくないし、勧誘もされませんからご心配なく。むしろ雰囲気を楽しむだけでも異文化の体験が出来ますよ。私もホームステイ時に一度連れて行ってもらいました。結構日本人が物珍しくていろんな人が超早い英語で声をかけてくれて困った記憶(その時はまだ片言しかしゃべれず、ヒヤリングも出来てなかったので..)はありましたが(笑) でも、なんか楽しかった記憶がありますよ。あまり深刻に考えずに参加したらどうですか?お金はチップ程度を回された箱に入れればOKです。